2025.11.21 12:20それは、些細な変化から始まった ついこの間まで、暑い、暑いと汗を拭っていたのが、急にコートを引っ張り出して羽織ってみたり。 12月初めに上掲のタイトルの新刊にも書いたことだったが、がんと診断される前、どちらかというと暑がりだったわたしが、なぜか急に(と思えた)寒がりになった時期があった。23年に、がんだと診断される、たぶん数年前のことだと思う。 その頃から、あるいは、それよりずっと前から、わたしの身体の内部では、いままでのわたしとは違う変化が生じていたのかもしれない。そして、生まれた変化は、長い時間をかけて(10年単位、もっとの場合もあるようだ)、殖えていたのかもしれない。がん細胞が。 確か同じ頃だったと記憶する。帯状疱疹にかかった。 首筋を中心に寒くて寒くて仕方がないこと。そして...
2025.11.01 12:20落合恵子のクレヨンハウス日記(25年11月)…… 明るい午後の日差し11月。 昼過ぎから夕暮れまでの時間が早くなって、 井の頭公園の水辺のベンチで、ひとり、コーヒーを飲む ……★井の頭公園が近くにある暮らしほど、夢みたものはない。 公園の水辺で、ズック靴を放り投げるように脱いで、ついでにソックスも脱いで靴の中に突っ込んで、「ああ、自由、自由、足にも人権を!」などと叫んで、11月の日差しを綺麗な形の裸足の足の裏に当てて目を細めていたのは、70年も前の、母だった。敗戦からおよそ10年。 月曜から土曜までの仕事。昼間のデスクワークから夕方戻ると、わたしと一緒に夕食をとり、それから駅前の雑居ビルに掃除の仕事をするために、出て行った母でもあった。 月曜から土曜の昼間の仕事は、最初はズック靴での通勤。あ...
2024.03.08 12:153月8日、国際女性デイインターナショナル・ウィメンズデイ、国際女性デイを記念して、クレヨンハウスでは4月いっぱい特製ミモザケーキを焼きます。8日がその第一日目。デザインの関係もあって、テイクアウトはごめんなさい、店内で召し上がってください。国際女性デイを国連が制定したのは1975年。女性の社会進出や地位向上をまずは 目標とした記念日ですが、その翌年76年にクレヨンハウスは誕生しました。 18坪の小さな店でした。「女の敵は女」と言われた時代、女性が女性を支持しないでどうする! という思いで、「ミモザ賞」も作りました。手作りの賞状とミモザの花束だけを お持ち帰りいただいた、何もない賞です。「あなたのこと、尊敬しています。いつも見ています。励まされています……」そんな思いをこめた...
2022.04.17 04:144月17日16日土曜日は亀戸中央公園で、「さようなら原発」の久しぶりの集会が。 光明るい週末でした。 いつもの代々木公園だと近いのですが、今回は亀戸。それでも、懐かしい顔との再会。懐かしい声と口調との再会。 陽射しを浴びた緑の、透明感のある美しさ。枝先の名残の桜数輪。空に向かって開いたハナミズキの白やピンクの花。自然からの贈り物を満喫しながらも、ウクライナ情報に心曇らせる日々が 続いている。23日土曜日のクレヨンハウス「朝の教室」。講師は防衛ジャーナリストの半田 滋さん。東京新聞の論説委員兼編集委員であった頃から、わたしは半田 滋さんの論説や、書かれる原稿の愛読者だった。「防衛」という言葉自体、ちょっと後ずさりしたくなる響きを含んではいるが、半田さんはあくまでも...
2022.03.10 23:15「いま、いのちの声を再び」11年がたつのです、あの日から。いかに言葉を尽くしてもどれほど涙をながしてもさらなる慟哭を重ねても......奪われたいのちは破壊された日々は押しつぶされた暮らしは断ち切られた地域社会は 戻ってはこない東日本 福島 そしてウクライナへ。わたしのたちの思いは 時空を超え「ひとごと」を超えて 「わたくしごと」としてせつなく柔らかく激しく結ばれる 約束しよう、わたしたちは、いのちの声をあげつづけると。 わたしたちは知っている。いのちと原子力発電はそして「原発的価値感」は 決して共存し得ないものだと。即刻の、まずは停戦を。全世界の、まずは原発の廃炉を。ウクライナの民話『てぶくろ』。雪の中に落ちた一方だけの手袋の中に次々に動物が入って暖をとり、分かち...
2021.10.10 05:1110月10日 「再びの忘れさせていくシステム」10月7日(木)23時少し前、千葉を中心に東京にも大きな揺れが。パソコンと向かい合っていたのだけれど、これは一体なに? 言うまでもなく、地震、です。このところ東京は地震があるんだよ、いつだって、という意識から少し遠ざかっていたような。結果、交通機関がとまったり、大幅に遅延したり、帰宅できなかったひとも。社会には「忘れさせていくシステムがある」、「わたしたちはそのシステムにのらない」。そう書いたのは、2011年の福島第一原発事故の直後に出た週刊誌の特集号だった。が、先週の揺れの中で、改めて対峙、再確認させられた。「忘れさせていくシステム」は、わたしたちの内側にもあるのだと。わたしたちの外にもそれは確かにある。わ...
2021.07.29 05:247月29日猛暑お見舞い申し上げます。 突然ではありますが、憲法25条に記されたひとりひとりの生存権が大きく脅かされている夏。そのなかにわたしたちはいます。「ね、怒るのに疲れない?」 そう聞かれることがままあります。 が、いろいろな損得を考えて怒りを封じ込めたり、どこかに忖度することのほうが、 わたしには疲れが溜まるやりかたなので、猛暑の中、相も変わらず怒ってます。性懲りもなく、怒っています。 さらに、ひとつの憤りの素に気づくと、あっ、ここにも、そこにも、あそこにも……。ビートルズのあの歌ではないけれど、Here, there & everywhere怒りの「あるある状態」が続きます。けれど夕方、漏斗形の夕顔の白い花を見ながら、大きく長い白茄子を焼いて...
2021.07.03 09:047月3日ポーランドの小児科医であり教育者であり作家でもあるコルチャック先生の生涯を描いた『窓の向こう ドクトル・コルチャックの生涯』(石風社)を読み終えて、次に手を伸ばしたのが、写真家・今森光彦さんの新刊、『小さな里山をつくる チョウたちの庭』(アリス館)。
2021.04.08 00:434月8日あなたは民主主義を信じていますか? わたしは、信じています。 「信じています」の語尾がこの8年ほどの間、ちょっと自信なさげに微かに揺れることはあったとしても、信じているから、デモに行ったり異議申し立てをするのです。そして、「民主主義」をより確かな、より信じられる方向へ、と拓くことができるのは、わたしたち、ひとりひとりだということも わたしは「信じて」います。 クレヨンハウス朝の教室、4月10日(土)121回目の会は、 「民主主義を信じるとは?」 政治学者の宇野重規さんを講師にお迎えします。 昨秋に刊行された『民主主義とは何か』(講談社現代新書)、そして今年の春に刊行された『民主主義を信じる』(青土社)、ともに是非お読みいただきた...
2021.03.26 04:213月24日30数年前に刊行した『偶然の家族』という小説が、先日、まさに30数年ぶり!に復刊!した。最初は婦人公論別冊だったか、小説雑誌に掲載され、単行本→文庫本(30数年はどこから数えるのかはわからないが)、そしていつの間にか消えていた作品である。ちょっと惜しい気もする小説だった。ゲイの、それもかなりの年代の恋人同士が登場するということで、いろいろ言われた作品でもあった。当時のことである。わたしにはゲイの友人たちが(男性でも女性でも)少なくなかったので、そして彼女たち彼らの存在が「色もの」風や「お笑い」的にまさに「扱われること」に腹が立って仕方がなかった。わたしはやはり「普通」からはみ出さざるを得ないひとや、無意識にはみだしてしまうひとに共感する。これは今でも変...
2021.02.01 02:301月22日昨年の12月5日、クレヨンハウスは45回目の誕生日を迎えました。45歳? WHO? わたしは75歳(12月5日現在)だよ。ただただ夢だけで突っ走った日々。日常の中では、そんなに欲しがり屋ではないが、どうしても欲しいものがこの世(大げさだが)にないときは、自分で作るしかない、と決めた。そして、クレヨンハウス誕生。 *45周年を記念して、二冊の翻訳絵本を刊行した。一冊は『あの湖のあの家でおきたこと』(トーマス・ハーディング/文 ブリッタ・テッケントラップ/絵)。ドイツで実際にあった話であり、主人公は湖のほとりの、一軒の家。平和で穏やかな暮らしがあったはずの、あの家に何が起きたのか。絵本の袖に書いたわたしからのメッセージは……。……もの言わぬ市民が、も...
2020.12.30 06:4112月30日 なかにし礼さんが亡くなった。 作詞家、作家、そして。実に多才なかただった。 多才である自分に時に照れているような……、 けれど照れているところはひとには見せないという素敵に頑固なダンディズムのようなものがおありだった。 旧満州生まれ。「引き揚げ船の上」で、日本では『リンゴの唄』が今はやっていると聞いたとき、実に複雑な思いを味わったとおっしゃっていた。自分たちはいのちからがら逃げてきたのに、ようやく故国に辿りつけそうなのに、国ではもうこんなに明るい歌が流行っているのか、と。 その体験がなかにしさんの背中を押したのかどうかはうかがったことはなかったが、苦学しつつも、人生の前半は、まずは気鋭の作詞家としてデビュー。大活躍。 メロデイがつく「詞」...