それは、些細な変化から始まった

 ついこの間まで、暑い、暑いと汗を拭っていたのが、急にコートを引っ張り出して羽織ってみたり。

 12月初めに上掲のタイトルの新刊にも書いたことだったが、がんと診断される前、どちらかというと暑がりだったわたしが、なぜか急に(と思えた)寒がりになった時期があった。23年に、がんだと診断される、たぶん数年前のことだと思う。

 その頃から、あるいは、それよりずっと前から、わたしの身体の内部では、いままでのわたしとは違う変化が生じていたのかもしれない。そして、生まれた変化は、長い時間をかけて(10年単位、もっとの場合もあるようだ)、殖えていたのかもしれない。がん細胞が。
 確か同じ頃だったと記憶する。帯状疱疹にかかった。

 首筋を中心に寒くて寒くて仕方がないこと。そして帯状疱疹は、それぞれ独立した症状であり、感覚だと当時な思っていた。そうだったかもしれないし、そうなかったかもしれない。いまとなっては、それを調べて証明することはできないのだから。
 しかし、それらの変化はひと続きのものであったような気がする。どちらも初めての体験であり、体感であった。

 いつもと違う何かが自分の内側にでも外側にでも生じたら、自らの健康状態をちょっと疑ってみる必要があったのだ。わたしは大きなこととは考えずに、通過してしまった。 もっとも相談した医師がセンシティブでも、意欲的でもない場合もあって、患者からしたら、困惑させられる場合もあるが。

 そう。どんな医師に出遭うかで、その後の人生が大きく変わることは、今は亡き柳原和子さんの『がん患者学』でも、よくわかる。友人知己ががんにかかる場合が多く、こういった、がんをテーマとした本は、当時もよく読んでいた。並行して、オーガニックの野菜や根菜、果物などの本もまた。わたしは有機の八百屋でもある。

 YOU ARE WHAT YOU EAT.

あなたの身体はあなたが食べたものでできている。

 YOU ARE WHAT YOU READ.

あなたの心(精神)は、あなたが読んだものでできている、のだ。

 READ の本屋とEATの八百屋。その方法を同時にやっていた偶然が、わたしにもたらしてくれたものは……。

 大方のわたしたちは、寒気にしても、帯状疱疹にしても、わたしがそうであったように、それらの小さな変化を一過性のものとして通過してしまいがちだ。処方された薬や、首筋に巻く薄手のスカーフや、馴染んだタートルネックのセーターで、なんとかやり過ごしながらきてしまった。

 このあたりのことは『がんと生ききる……悲観にも楽観にも傾かず』に詳しく書いた。

 あの悪寒に似た寒気は、もう出会うことはない。帯状疱疹にも。やはり異変を知らせる何かであったかもしれない。

 日差しが明るく、眩しい日だと、「晩秋」と呼びたくなり、一方、光が乏しい曇り空の日だと、晩秋よりも初冬と呼称がふさわしく感じる。今日の東京は晩秋。

 がん病棟の患者さんたち、とくに滞在期間の長いひとたちが、ひそかに「リゾート」と呼んでいたあの空間、病院の長い廊下や談話室。

 調理した料理をのせる配膳台の音が突然といった感じで甦る。

落合恵子blog Keiko Ochiai

落合恵子のブログ『明るい覚悟』