……7月。梅雨があがって青空に白い雲がぽかり。
ポンポンダリアが丸い蕾をつけて、2025年の夏がいま! ……
★クレヨンハウスが吉祥寺に引っ越してから、3度目の夏がやってくる。
7月の光の中で、素足にサンダルをつっかけたあなたが、洗濯ものを庭に干しながら口ずさむのは、どんな歌?
朝に洗濯を終えて、干して、夕方にはすっかり乾く日々。それだけで、気分が晴れる。
♪にわのシャベルが一日ぬれて……のあの歌の、あの出だしを思う。雨にぬれているシャベルをじっと見ているあの子。あの子の眸に、この7月はどう映るだろうか。
★初夏にすでに夏日があったりして、今年の7月も猛暑になりそうな。暑いのは嫌いではないのだけれど、湿度が高いのはちょっと。
最近、郷里の家をとみに思い出す。
裏庭には松葉牡丹。垣根に添って、カンナと鉄砲ユリ。隣の家では、裏木戸を這い上がるノウゼンカズラ。7月半ばにはすでに濃い橙色の花をつける。あの色しか知らないが、紫系の花もある、と教えてくれた友人がいた。わたしは見たことはないのだけれど。
80を過ぎて、縁側のある古いつくりのしもた屋に引っ越したいなと思うことがある。瓦屋根の木の家である。できたら平屋。
70数年も昔。裏庭がある郷里の家がそうだった。
★あめ色に光る磨き込まれた縁側。その隅に置かれた古い足踏みミシン。庭にはヘチマの棚があって、若い叔母たちがヘチマ水から化粧水をつくっていた。祖母もまた風呂上がりに、浴衣の衿を少しはだけて、ヘチマ水を胸に叩き込んでいた。
晴れた朝には、松葉牡丹が赤、黄、桃、白のシンプルな花をつけていた。さらに気温が上がると、柴犬のチロは、縁側の下に潜り込むか、井戸のそばに穴を掘って、そこに腹這って暑さから逃れていた。
あの頃、わが家には叔母たちが子ども時代に読んだ古い絵本があった。戦火を免れた貴重な本で、かつてそれらを読んでもらった叔母たちが、今度はわたしに読んでくれた夕暮れ。路地裏には、白粉花が咲いて、風呂上がりの子どもたちはその家の年よりが縫ってくれた浴衣を着ていた。そんな光景と麦茶の香りと、雨戸にしっかりとしがみついたセミの抜け殻。井戸の傍らにおかれた大きなタライには、西瓜が冷えていた。
あんな夏をもう一度だけ、体験してみたい。
★選挙である。戦後80年の夏に、わたしたちは選挙を迎える。「党内野党」であった首相は、このやみくもな物価高をどう対処するつもりなのか。「うちにはもらいものの米がたくさんある」と言って、高騰する米価に苦しむ国民の怒りをかったかの大臣は辞任。再登場したのは……。軍事費ばかりが増えて、市民にはただただ暑い夏。
小さな庭の桔梗がやさしい紫色の花をつけている。紙風船のような蕾がかわいらしい。
自転車のおじさんが、鐘を鳴らして「アイスクリン」を売りに来た夏。子どもたちは玄関に出て、鐘の音を待っていた。どこかから玉蜀黍をやく匂いが漂ってきたあの夏。
風は吹かず、風鈴はただただ軒下にさがっているだけだった。
★出久根 育さんの『もりのあさ』を開く。
朝もやの中、森を歩く女の子。土の匂いが、緑の匂いが、静かに深く描かれている。何度も繰り返し「味わいたい」一冊だ。
『もりのあさ』
出久根 育/作 偕成社/刊 1,980 円(税込)
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