……2025年の夏
そして、80年前の8月
その日、その時を覚えているひとは減って……
★この夏、メディアはこぞって、「戦後80年」の特集を。「戦後」という言葉を前に考えこむ、わたしが。
いつまで、この国で「戦後」は続くのだろうか。「戦後」という言葉が消える日がいつか、それも、そんなに遠くないいつか、やって来るのではないか、と恐れる。
ひやり、とすることばかりが続いている。
6月の22日、米国のトランプ大統領は、SNSに、イランの核施設を空爆したと投稿。一つの国をひとが生きているところを空爆したという事実を、SNSに投稿するあまりにも軽い意識がわたしには理解できない。むろん、問題は空爆そのものにある。それをSNSに投稿する「軽さ」(事実だか装っているのかはわからないが)が、わたしにはたまらなく不快だ。レストランが「今夜のお薦めメニュー」を投稿するのとはわけが違う。
イランの三つの核施設に大規模な攻撃を行った理由を、彼はホワイトハウスで次のように述べ、国民に語り掛けている。「世界一のテロ支援国家(イランのこと)の核の脅威を阻止することが目的であった」。この暴挙以外に、何も思いつかなかったのなら、大統領と言うか、政治家として失格ではないか。なんとしても戦争への道を閉ざすのが、政治家がとるべき道ではないか。彼がかぶった野球帽にまで書いてある「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」。再び米国を偉大なる国家へ、という時代がかったスローガンも、滑稽であり、かつ恐ろしい。わたしが米国民なら、恥ずかしいと思うだろう。大規模な軍事攻撃の話である。忘れてはならない、しかも核施設への空爆である。放射能がまき散らされたら、広範囲の汚染もあり得る話だ。
先進7か国、G7は、仲間内のこの暴挙をとめることができないばかりか、反論さえしないのか? ひとつの「狂気」がまかり通ると、どの国においても発火点すれすれの「狂気」が立ち上ってくる。
24日、イランとイスラエルは停戦となったが、それはトランプの核施設空爆のせいではないことを心に刻む。
それにしても、第2次世界戦争後、各国の猛省のもとに築きあげてきた国際的な秩序は、こんなにも弱く、脆いものだったのか。
核保有国である米国の今回のような身勝手がまかり通る国際社会であるなら、人道や反戦、平和や民主主義という言葉は死語となり、イメージは枯れ果てる。「戦後80年」は、2025年の今年で終わり、新しい「戦前元年」を、わたしたちは迎えるところだった。(「信濃毎日新聞」への連載原稿に加筆)
★そして、改めて戦後80年。80年前の8月、わたしは生後8か月の赤ん坊だった。
「元気で大きくなってくれただけでも、ありがとう、だった」
小学生のわたしに、母が緑色の蚊帳の中で言った言葉が甦る。垣根には、白、赤、黄のオシロイバナがさいていて、すぐ隣には朱色のカンナの花が。真っ白な夕顔もいい香りをまき散らしていた。
縁側には蚊取り線香が真っすぐに煙をあげていた暑く長い夜。母は30代のはじめだったろうか。
「二度と二度といやだねえ」
主語はなかったが、何のことか、わたしにもわかった。
★クレヨンハウスでは、「戦後80年」の特集を店舗(東京店・大阪店)でも7月上旬から開催します。『まちんと』『おとなになれなかった弟たちへ』、『せかいいちうつくしいぼくの村』などなど、たくさんの平和と反戦を考える本が。作家のかたがたからの、手描きのメッセージともじっくりつきあってください。
『まちんと』
松谷 みよ子/文 司 修/絵 偕成社/刊 1,320 円(税込)
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