落合恵子のクレヨンハウス日記(25年11月)

…… 明るい午後の日差し11月。
  昼過ぎから夕暮れまでの時間が早くなって、
  井の頭公園の水辺のベンチで、ひとり、コーヒーを飲む ……

★井の頭公園が近くにある暮らしほど、夢みたものはない。
 公園の水辺で、ズック靴を放り投げるように脱いで、ついでにソックスも脱いで靴の中に突っ込んで、「ああ、自由、自由、足にも人権を!」などと叫んで、11月の日差しを綺麗な形の裸足の足の裏に当てて目を細めていたのは、70年も前の、母だった。敗戦からおよそ10年。

 月曜から土曜までの仕事。昼間のデスクワークから夕方戻ると、わたしと一緒に夕食をとり、それから駅前の雑居ビルに掃除の仕事をするために、出て行った母でもあった。

 月曜から土曜の昼間の仕事は、最初はズック靴での通勤。ある時からは、あまり上等ではない固い革靴を。それでも、待ちかねた日曜朝の公園行きには、古いズック靴を愛用していた。それらすべてを脱ぎ捨てて、足の裏を日光浴させる一時ほど、母にとって解放感あふれた時空はなかっただろう。

 そしていま、わたしとクレヨンハウスは井の頭公園のある吉祥寺に。
 わたしも今日は、ソックスを脱いでスニーカーの中に入れて、足の裏に日差しをたっぷりとうけとっている。
 おかあさん。裸足は気持ちいいね。太陽はいのちへのご馳走だね、と呟いて。

★山茶花のまるい蕾。咲く花の予告編のように、蕾に開花時の花の色をにじませている。
 この蕾は薄紅色。こっちは鮮やかな紅色。その隣は、白い花。
 山茶花の花はどの色でも、どこか鄙びた、穏やかで真っすぐな味わいがある。そして、子どもの頃に歌ったあの歌、♪たきびだ、たきびだ、落ち葉たき……の一節が甦る。

 クレヨンハウスのお昼のお弁当と、豆腐とワカメの味噌汁。紙コップ入りのコーヒーと。 おなかいっぱい、ご馳走さま!

★水際の乾いた石の上に、トカゲが一匹。陽なたぼっこしている。
わたしには、トカゲとヤモリの違いがわからない。それでも丸い石の上のやつには、なぜか親近感を覚える。
 気持ちいいかい? 陽なたぼっこは。昼寝がしたくならないかい? この暖かな日差しは。眩しくないかい? この光は。
 風が水の上に伸びた枝をやさしく揺さぶって、ふっと視線を上に向けた次の瞬間、石の上からトカゲだかヤモリだかわからないやつは、消えていた。

★あとひと月もすれば、街はクリスマスの装い。
 ピアノの代わりに母が贈ってくれた春の花の球根を素焼きの鉢に植えて、次の季節を待った日々。
 休日の公園行き。お弁当は、大きなおむすび。ひとつは梅干し入り、もうひとつは、塩こぶ入り。ノリで巻いた三角形だった。卵焼きや、モヤシとピーマンの油いため、おやつの蜜柑もあった。

★時々むしょうに会いたくなる絵本作家のお一人が、長野ヒデ子さん。11月の日曜は、『おかあさんがおかあさんになった日』を開く。

『おかあさんがおかあさんになった日』
長野ヒデ子/作 童心社/刊 1,540 円(税込)

落合恵子blog Keiko Ochiai

落合恵子のブログ『明るい覚悟』