お元気ですか? 元気でいてください。いつもと同じ挨拶から。
夕暮れが、ほんの少しだけ早くなったような。もうすぐ9月です。
10年前の苦悩を再現するような、熊本地震が再び地元の人たちを襲いました。
地震大国でありながら、防災にはさほど目を向けず、きな臭い方向にせっせとお金をつかいたがる権力者たち。大方の政治家には、決して理解できないだろうが、同じ被災者でありながら、自分のことや自分の家のことは後回しにして仕事に従事するしかない熊本県人も少なからずいる。
取材をし、記事を書く記者たち。熊本日々新聞社に限らず、その地で仕事をする他社の記者たちも。校正、カメラ、刷り上がった新聞を配達する人も。それぞれには、地域に根を張った自分の暮らしがそこにはある。
子どもの本の出版社、アリス館。言うまでもなく、完成度の高い「子どもの本」は子どもという年代に限らず、年齢制限なしで味わうことのできる本、ではあるが。 アリス館では、この7月に村上康成さんの、『ライチョウのいのり』という絵本が刊行された。
「大好きな自然に身を置くことを、こよなく愛する自然派のアーティスト」(著者紹介より)である村上康成さん。『ライチョウのいのり』は、静かで美しく、透明感のあるまさに、「いのり」そのもののような絵本だ。誰のいのり? ライチョウの、ひとの、いのちあるものすべての、それぞれのいのりである。
最後のページに、村上さんの手描きの短いことばがある。
中部山岳の残雪の上でのことだったという。
目の前でおっとりと木の芽をついばむライチョウがいた。
その、ライチョウの様子を村上さんは次のように記されている。
……(そんな)信頼と覚悟のような穏やかさに、心をうばわれました。今の世界が失くしかけている大切な清々しいもの…。静かな佇まいから、強いメッセージを放っているようでした……。
文中の、特に「覚悟のような穏やかさ」という言葉に、強く心惹かれた。
わたしも、願わくば「覚悟のような穏やかさ」を持ちたい、「穏やかな覚悟」を、自分といういのちの真ん中に置いておきたい。
村上さんのこの言葉に出会ってから、ずっと心に、その言葉を置いているわたしがいる。
間もなく8月が終わる。23年の夏の終わり、わたしは小細胞肺がんで入院していた。本を読み漁るたびに、自分がかかっているのが肺がんの中でも、やっかいながんであることを自覚せずにはいられなかった。
まず、治療と呼ばれるものをするかしないか。第一関門はその抜本的な問いにあった。並行して、どの病院の、どの医師と向かい合うか。多くの子どもが教師を選べないように、患者もまた医師を選ぶことは難しい。医師もまた患者を選べないのだが。
詳しくは、去年の暮れに上梓した拙著『がんと生きる 悲観にも楽観にも傾かず』(朝日新聞出版)を読んでください、と書いて、そんなに詳しくは、書けなかったと思う。特に、病院が決まらなかった日々、多くのがん患者(がんに限ることはないが)や、厄介な病を得た患者、その家族は、どの病院にするか、どの医師と出会うかで悩むことになるのだと痛感させられた。
わたしも二つの病院を経て、三つ目の病院に落ち着いた。ここがいい、と決めたのではなく、迷うのはもう疲れと、ということで三つ目の病院に落ち着いたのだった。
入院当初は時間があれば、眠っていた。とにかく疲れていたのだ。治療についても、三つ目の病院の医師がすすめるものにした。
標準治療、である。妙な呼称であるが、多くの人が選ぶ(というか選ばざるを得ないもの)を、わたしも体験してみようと思った。
10パーセントは、ちょっと投げやり、残りの90パーセントは、多くのひとが体験することをわたしも体験してみようか、と。
あれこれ悩み、ああでもない、こうでもないと考えること自体、億劫だった。自分のことは自分で決めなくてはと思いながら、心の片隅ではかなり投げやりになっていたのかもしれない。
病院での食事は美味しくなかった。果菜でも、もともとあまりとらなかったが肉類でも何でも、自分のところのオーガニックのものを何十年もとってきたので、美味しくないのだ。調味料もまた。
入院して一週間で、4キロ瘦せた。それからまた1キロ、2キロ、瞬く間に落ちていった。
半袖の白いTシャツの中で、身体数回転しそうな感じ。スリムなジーンズもすっきり。何年ぶりの体型だったか。
とにかく、しばらくは静かにして居たかった。静かに、自分がいまかかっている、がんについて、そして小細胞肺がんについて学びたかった。病棟の窓から見えた槿の、薄紫の花が淡い静かな色であるのに目に染みた。
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