12月5日
「12月5日、という日」
東京は小雨模様の12月5日、土曜日です。
予想はしていたものの、コロナウイルス感染拡大のニュース。
心はやはり上向きにはなれないまま、です。
45年前の今日の11時、クレヨンハウスはオープンしました。
表参道沿いのビルの中2階。小さな小さなスペースでした。
道路に突き出すように、これもまた小さな小さなテラスがあって、
今頃の季節、欅の枯葉が風に舞って、テラスの椅子をかすっていったものです。
当時わたしは31歳。「無謀な人生」のはじまりです。
「失敗したならゼロに戻ればいい。したい何かを諦めて悔やむより、したい何かをして、失敗して悔やんだほうが、あってるかも」。
どうせ長続きはしない。すぐに飽きるに違いない。その時は盛大におつかれさん会をやってやろう……。
友人たちのそんな不安含みの声を背に聞きながら、大海に漕ぎ出した小舟は、欅の枯葉ほどの小ささであり、軽さでした。
いろいろなことがあったけれど、無念なこともあったはずなのに、そしてそれらの中から苦労話だけを拾い集めて披露するのは、ごめんよ、わたしの性には合わないので、はしょる。「かっこつけさせてくれー♪」である。
それに、こうして時がたってみると、いやなことも、悲しかったことさえも、悪かない記憶に変わってくれているのだから不思議だ。
「ちょっと休ませて」
普段着の上にコートをはおり、ソックスにサンダル履き。現在のクレヨンハウスの地下のテラスのテーブルで、ひとりコーヒーを飲み、かぼちゃケーキを頬張るあの女性。お母さまを介護されているというご近所のかただ。
「母が元気な頃、ふたりでよくこのテラスでコーヒーとかぼちゃケーキ、いただいたんです」
お母さまはいま、「なんていうか……、認知症の中であそんでいるような」と彼女。
「ヘルパーさんが、30分でいいから自分に休み時間をプレゼントしてあげてください。おうちの外に出てください、じゃないとご自分が精神的にダウンしてしまいますよって、背中を押してくれたの」。
で、こうして来てくださったのだという。
テーブルの上にはコーヒーカップとかぼちゃケーキと、そしてスマホが一台。ヘルパーさんを仲立ちにして、彼女とお母さまを結ぶものだ。
「45周年で何かするの?」
このところ、よく訊かれた。何かお祝いをするの?
ごめんよー、このご時勢に、パーティなどは、気分がのらない。
もともとパーティは苦手、人が集まるところもできたら遠慮したいという性格は、クレヨンハウスをいくつかあったはずの、ハレの日からも遠ざけてきた。で、今日は立ち寄ってくださったかたがたに、有機の温州みかん(45周年のシール付き)をプレゼントするだけ。40周年の時もそうだった。
で、45周年記念に翻訳刊行したのが、2冊の絵本。
1冊は『あの湖のあの家でおきたこと』(トーマス・ハーディング/文 ブリッタ・テッケントラップ/絵)、もう一冊は『悲しみのゴリラ』(ジャッキー・アズーア・クレイマー/文 シンディ・ダービー/絵)。
『あの湖のあの家でおきたこと』(トーマス・ハーディング/文 ブリッタ・テッケントラップ/絵)。
ナチズムの暴走下、人々は奪われた。家族を、愛する人を、思い出が詰まった家を、築き上げた過去を、平和を、昨日の続きの今日を、そうして自分自身であることを。
訳し終えて、袖のところに、わたしは次のように記した。
……もの言わぬ市民が、もの言えぬ社会を作る……。
この絵本が描いているのは、遠い過去の話なのか。遠い国の過去完了の出来事なのか。
クレヨンハウスにとって、反戦、平和は、反差別は看過できない、ひとごとではなく、「自分ごと」である。だから、店の中にもそういったポスターがはってあるし、そういうテーマの本も並んでいる。ミッションなんて大げさな言い方はしたくないが、1945年生まれのわたしの、ささやかな自分との約束、とでも言ったらいいのか。
45周年記念に翻訳刊行したもう1冊は、『悲しみのゴリラ』(ジャッキー・アズーア・クレイマー/文 シンディ・ダービー/絵)。いわゆるグリーフケアをテーマとした絵本だ。
母を失ったひとりの男の子。誰よりも近くでその存在を感じていたい父さんは、自分の悲しみの中にいて、「ぼく」を気にしてくれるひとはだれもいない……。その子の前に現れたのが、大きな大きなゴリラ。やさしくて、素敵に寡黙なゴリラだ。
ゴリラは、男の子の心が生み出した空想の存在かもしれない。が、「ふたり」は、ぽつりぽつりと言葉を交わし、息遣いと言葉をそっと重ねて……。
親をなくすかもしれない子どもたち、すでに失くした子どもたちと共にあることの意味を問いかけ続ける看護師さんでもある女性は、子どもが悲しみから、とにかく早くに立ち直ること、ただただ前向きであることを求める社会について、警告を鳴らす。もっと悲しんでいいんだよ、と。そしてこの絵本を推薦してくださった。
わたしはこの寡黙な大きなゴリラを勝手に「ビッグ・G」と呼んでいる。
わたしが時々、クレヨンハウスのテラスでぼーっとしているときは、心のうちでこのでっかいGと話しているときなのかもしれない。
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