連絡したいのです。”あなた”。

表参道のクレヨンハウスをあとにする時、心残りの記憶がいくつかありました。

記憶と呼ぶには、あまりにも鮮やかな、できごと。

二人の男性が、主人公の物語です。


おひとりは、クレヨンハウスのレストラン「広場」(吉祥寺でも健在)と、野菜市場(むろんこちらも健在)のお客様で、お母さまと一緒に、ランチをよく召し上がっていただいていた。野菜のお買物もされていた。

わたしもちょうど母の介護をしていた頃で、彼のきわめてデリケートなお母さまへの対応に、感激したものです。お皿の上のお料理を小さく小さくカットする手つき。あまり沢山は召し上がらないお母さまとの食事のあと、デザートはひとつのケーキをカットして…。

わたしはあんな風に、母にデリケートに接することはできただろうか…。ふと、そんな思いに駆られたこともありました。

そして、わたしの母がそうであったように、彼のお母さまもやがて…。しばらくのインターバルのあと、再び彼は、ランチを召し上がり、そしてそのあとは丁寧に野菜を選ばれて、エコバッグに入れていました。しばらくお見えにならなかったのは、短期間の入院をされていたこと。お母さまの思い出話と共に静かに(本当に静かにひとでした)話してくださいました。

そうして幾つかの季節がすぎて、今年の秋。しばらくお顔を見ていない、と少々焦りを感じているまに…。移転の時が。礼を失ったやりかたではないかと思いつつも、登録されていた電話番号にスタッフがご連絡を。電話は使われていないという……、録音された声が。

どうされていますか。Hさん。


もうおひとかたは、毎月1回、ミズ・クレヨンハウスが主催する「朝の教室」に、ほぼ毎回参加されていたひと。

白髪がまじった長髪を首筋で束ねていた。彼もまた静かなひとだった。冬は赤いショートコートを羽織っていた。

悪天候やコロナ禍での、やむをえない「朝の教室」の延期。クレヨンハウスのスタッフは、事前にいただいている連絡先に電話やファックス、メール等で延期をお伝えしてきたが…。彼からは連絡先を教えていただくことはなかった。

 彼の雰囲気や、たたずまい、静かだが確かな眼差し等々で、なんとなくどんな人生を送ってこられたか…。わたしの世代なら、彼の10代から20代の日々の想像がつくような…。

その彼も、ほぼ皆勤だった「朝の教室」を、ここ数カ月、欠席されていた。

名前もわからないあなた!

いま、どこで、どうされていますか?


夕暮れ時の吉祥寺の大正通り。ふっと泣きたくなって、

イルミネーションのまばたきを見つめているわたしがいる。

落合恵子の『明るい覚悟』

Living at the same time こんな時代だからこそ。