「女性たち」

先週の金曜日は一日中、クレヨンハウスに居た。

12月5日に新刊『がんと生ききる  楽観にも悲観にも傾かず』(朝日新聞出版)が刊行されてから、取材が絶えることがない。同じようなことばかり話をしているようで、気が引けるのだが、タイトル通り、どちらかに傾くことはないよね?とお伝えすることができたら、こんなに嬉しいことはない。

クレヨンハウスの本の売り場からも、日々幾冊売れましたという報告が、日報と一緒に入って来る。

野菜市場で「坂出(さかいで)金時」という名のサツマイモを選んでいるとき、隣から手が伸びて、「ぼっちゃん南瓜」を手にしたかたのエコバックから、わたしの『悲観にも楽観にも傾かず』の、きれいな黄色い表紙が見えた。つい「ありがとうございます」とお声をかけてしまう。

食事のあと、テーブルでコーヒー飲んでいると、すっと近寄ってこられた高齢(といっても、わたしより若い)女性が、小さな声で、「元気でいてください。お元気そうな顔色でほっとしています。また会いにきます」。小さく手を振って出て行かれる姿を見ていると、
「うん、大丈夫だよ、気を付けてね」とこちらもその背に声をかけたくなる。お互い、生ききっていこう!

金曜日は、二本の少し長い取材を受けた。どちらも新聞。
ふたりとも、とても優れた記者だった。人間的な意味でも、である。

珍しいことではある。二回続くと、どちらかが「うーむ」だったり、仕事はできそうだけれど、人間性はちょっと……疑問符付きといった場合も、不幸にしてあったりする。それは先方の問題というより、取材を受ける側が疲れていたりする場合のほうが多い。
それが金曜日は、なんとラッキーなことだったか。

ひとりは女性記者、もう一人は男性記者で、カメラは両社とも女性だった。

わたしがラジオ局に入社して数年たったころ。深夜放送を担当していた、55、6年前。カメラの女性はほとんどいなかった。皆「カメラ <マン>」だった。

その後、20代後半で、外部の原稿を書いてもいいという許可を、当時勤務していたラジオ局で手にした。海外取材などにも何度となく一緒に行ったのが、カメラの女性だった。当時は珍しい存在だった。

そしていま、新聞社の取材などでは、記者が写真も自分で撮る場合が少なくない。会社にとってはいろいろな意味で便利なのだろう。うちの編集部でもカメラを依頼する場合もあれば、編集者が自分で撮る場合もある。

「人」というより、「男」を意味することが多い「MAN」が、性別不問の「PERSON」という呼称に変わったのはいつ頃のことだったか。消防士を意味する「FIREMAN」が、「FIREPERSON」に。

 当時、表参道にあったクレヨンハウスの3階、「ミズ・クレヨンハウス」には、フェミニズムの入門編の本がたくさん並んでいた。D・Vや、アダルト・チルドレン等々。わたしは、すでにフェミニズムについて充分に学んだひとたちよりも、「これから」の人と空間を分かちあいたかった。すでに学んだひと、学ぶ場をもっているひとは、自分で進んでいくだろう、仲間を見つけて。大事なのは、いまはまだ入り口に立っていて、中に入ろうかどうしようかと迷っているひと、肩を並べて一緒に歩む仲間もまだいないひと。なぜなら彼女たちこそ、将来の「モノ言う市民、異議申し立てをする個人」になる可能性が、きわめて高いのだから。

 女性の大工さんに出遭ったのもその頃のこと。「働く女性と性差別を考える三多摩の会」だったか、ふたりは米国で学んで帰国した女性カーペンターだった。クレヨンハウスの地下にある研修室で、季節ごとにコンサートや、発表会をしていた。彼女たちはその会のメインメンバーで、歌もダンスもうまかった。むろん思想は筋金入りでありながら、文化的感触はやさしかった。

 この研修室では、年に一度、国際女性デイ(※)に、その前の年、活躍した女性たちをお招きして、ミモザの花束と食事とお酒のある一時をプレゼントした。思いっきり、今夜はリラックスして、と。

 何度目かの女性デイの受賞者のひとりが、当時の社会党の党首 土井たか子さんだった。舞台で土井さんがアカペラで「サン  トワ  マミー」を朗々と歌い上げていた時、ドアを開けた男性が、「ど・い・た・か・こ がうたっている! ほんとか??」と叫んだこともあった。

そしていま、フェミニズムは?

大きな総合病院。女性医師の数は以前よりは増えているかもしれないが、役職となると……。役職がすべてではないのだが。
そうして、政治の世界では?

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※「国際女性デイ」について

1904年3月8日にアメリカ合衆国、ニューヨークで婦人参政権を求めて行われたデモが起源となり、1910年のコペンハーゲンでの国際社会主義会議で「女性の政治的自由と平等のために戦う日」と提唱されたのが始まり。

国連はその後1975年の国際婦人年に、3月8日を「国際女性デイ (International Women'sDay)」と制定。世界各地で、それぞれの国の歴史と伝統に応じて呼びかけがされています。イタリアでは「FESTA DELLA DONNA (フェスタ・デラ・ドンナ=女性の日)」とされ、母親や妻、同僚などに愛や幸福の象徴でもあるミモザの花を贈ります。
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